「あくなき情熱と探究心」

STORY2

「あくなき情熱と探究心」

Hertha Bengtson

ヘレナ・ベングトソン(1917‐1993)

 

-彗星のごとく現れた才能-

スウェーデン南部に生まれ
4人の兄弟と農場で育ったベングトソン。
織物や手工芸品への関心は
熟練の織り手である母親からでした。

当時、図画の教師になりたいと思っていた彼女。
しかし家庭は貧しく
専門的な勉強はできませんでした。

18歳になると、ついに彼女は
磁器の絵付けを学ぶ夜間学校に通い始めます。

すると2年後、ハッケフォルス磁器工場に入社。
パターンデザイナーと装飾活動を開始します。
また、生産管理などのマネジメントの責任ももちました。

1939年。
第二次世界大戦が始まると
工場監督が兵役で呼び出されます。
彗星のごとく現れた彼女は
たった22歳で部長に任命されたのです。

 

-ロールストランドでのスタート-

1941年。
彼女は、ロールストランド磁器工場に装飾担当として雇われます。
しかし彼女の好奇心はデザインに向いていました。

当時のロールストランドには
グンナー・ニールンドやカール・ハリー・スタルハンなど、多くの成功したアーティストが在籍。
彼女は、仲間があまり注目しなかった磁器のサービスセットに強い関心をもちます。

 

-夢への挑戦、そして躍動-

1940年代半ば。
彼女は夢であった磁器のサービスセットのデザインに乗り出します。

質の高い素材の調達、デザイン、焼き入れ、釉薬など…
夢の実現には4年間を費やしました。

そして1950年。
「ブラ・エルド」がついに誕生。
(日本語で「青い炎」を意味)

ブラ・エルドは、国内外で販売が成功。
彼女は、日用生活品でも高い芸術性が表現できることを証明しました。

このブレイクスルーをきっかけに彼女は躍動。
Koka、Ceylon、Rosmarinなど
6種類のサービスセットをデザインします。

また、実験的なアートワークや、非公式ながら広報担当者を引き受け活躍します。

 

-途切れない探究心-

1964年になると
ホガナス セラミックス社に入社。
彼女は石器に興味をもち、テーブルウェアセット「Jasmine」などを発表。
しかし、1969年。
経営陣との争いから会社を去ることになります。

 

-素材から素材へ-

フリーの期間を経て
まだ野心的であった彼女は
ドイツの磁器大手会社 ローゼンタールに入社。
1981年までに
6つのサービスセットを制作します。

また、1970年代には
ガラスにも興味をもちます。
ストレムベリィスヒッタン・ガラスワークスとのコラボレーションを果たし、芸術的なガラス作品をデザインしました。

彼女は1993年に死ぬまで働き
沢山のデザインの遺産を残しました。

 

-ハイライト-

「生活(機能性)の中にも美しさが伴うべき」
この考えを生涯貫き
数多くの食器を生み出した彼女。

職人、研究者、そしてビジネスにおけるまで
彼女の仕事への情熱と探究心は尽きることがありませんでした。

そのプロフェッショナルさゆえに
家庭をもつことなく、生涯を一人で暮らした彼女。
しかし、友人や同僚とは良い交流関係をもっていたそうです。

 

-追伸-

デザイナーに限らず
幅広い分野で活躍した彼女。

戦争も要因ですが
22歳で部長になってしまうあたりは
才能としか言いようがないかもしれません。
何でもこなせることが
次々と彼女を仕事に駆り立てたのかもしれませんね。

今回は、そんな彼女のロールストランドでの代表作をご紹介します。
1955年から1988年にかけ制作された
KOKAシリーズ。

ポットとサービングプレートは
レンジやオーブンでも使用でき
テーブルに直接持っていくことができました。

当時画期的であったこの機能。
彼女は食器を積極的に宣伝し、主婦や女性団体に紹介しました。
広告まで考えていた点は
彼女らしいのかなと思います(笑)

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ぜひ手にとってみて下さいね。